京都府福知山市三和町千束に本部を置く社会福祉法人福知山学園(松本修理事長)が主催する「第7回FUKUGAKU(フクガク)オープンセミナー」が14日、土師のホテルロイヤルヒル福知山&スパで開かれた。義足のバレエダンサー・大前光市さんが、障害を理由に諦めることなく、挑戦し続ける自身の生きざまを語り、踊りも見せて観衆240人をくぎ付けにした。両丹日日新聞社など後援。
大前さんは1979年岐阜県下呂市生まれ。大阪芸術大学でクラシックバレエを学び、卒業後にプロのダンサーになった矢先、23歳の時に交通事故で左ひざ下の切断を余儀なくされた。
しかし、片足でも踊り続けることを諦めず、ヨガ、武道、新体操などの動きも学び、独自のパフォーマンスを作り上げた。16年のリオデジャネイロ・パラリンピック閉会式で踊り、17年の第68回NHK紅白歌合戦では平井堅とのコラボレーションを披露した。
中学生のころは、いじめられていたという大前さん。ある劇で準主役を演じたことで周囲の反応が急変し、舞台への関心を高めた。当初はミュージカル俳優をめざしたが、いつしか華やかなバレエの世界に誘われた。
大学を卒業し、劇団のオーディションを受け、残すは3次試験のみに。あと少しで夢に手が届きそうだった練習帰りの雨の日、交通事故に巻き込まれた。
動かない左足にふれて「なんで俺が!」と叫んだ。病院に運ばれ、医者から左足の切断か命かの二者択一を迫られて切断を選んだ。
オーディションはまた受ければいいと思っていたが、退院して義足を付けて初めての練習の日。今まで目を閉じてでもできていたことができず、スタジオの隅で泣き崩れた。
それでも諦めず、入りたかった劇団に何度も挑むが実らない。最後は慕っていた人から直接ダメ出しをされ、夜行バスを待ちながら泣きじゃくった。
■やったらできる 父親が背中押す■
二度の挫折をしたが「ダンスをあきらめたくない」。背中を押してくれたのは、ずっとダンスに反対していた父親だった。父親は泥だらけの作業着で働く職人で、あこがれの美しい舞台人とは対極の存在だった。「『おまえ負けんなよ。やったらできるぞ』。ずっと格好悪いと思っていた父の格好良さが分かり、足が痛いのが消えましたね」
父親は他界したが、今も体が軽くなると近くに感じる。「憧れたきれいさではないけれど、力強さでやっていける。もがきながらでも続けられる」と力を込めた。
義足のダンサーは自分の個性で、海賊の船長役を例に「義足のほうがキャラ立ちしません? 逆手に取るとおいしい」と笑いながら話す。一番動きやすいという切断した方の足をカバーするだけの短い義足を付けて踊った。軽やかで、力強い躍動に、観衆は引き込まれた。
写真=義足のダンサー大前さんが迫力のパフォーマンス
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