困った時はお互い様。助け、助けられて人は、地域はつながっていく。東日本大震災の被災地へ京都府福知山市の職員が支援に出向き、福知山が水害に襲われた際には支援先から応援の手が届いた−。そんな絆にまつわる話が、福知山市の雀部公民館(八木俊雄館長)の講演会で披露された。
公民館教養部(永野宏志部長)による人権講演会で、9日に前田の区公会堂を会場に開かれ、地元の人たち約230人が訪れた。
講師は福知山市役所危機管理室の足立譲治さん。寺村幸雄さんと2人で2013年から2年間、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市へ派遣され、全国からの職員たちと一緒に、まちの復興支援にあたってきた。
2年目の14年8月。福知山市を豪雨災害が襲い、市街地一面が冠水。まちが茶色に染まったニュース映像が全国に流れた。これを見た石巻市長が、足立さんたちにすぐ福知山へ戻るよう促し、帰路に着いた。やっと市役所にたどり着いて目にしたのは、被災者からの問い合わせに十分対応できず、窓口が大混乱する姿だった。
「これはあかん。石巻が持つ巨大地震直後の教訓が役立つはず」。すぐ石巻市に窓口の対応マニュアルを送ってもらえるよう電話を入れた。応じた石巻から届いたのは、マニュアルではなく、人だった。
市長がすぐさま職員派遣を手配。専門部署の経験者4人が夜通し交代で車を運転して駆け付けてくれた。
4人は自分たちが表に立つのではなく、あくまでも裏方に徹することにした。それまでの市役所窓口には被災者が求める情報は届いておらず、職員たちは「まだ分からないんです」と謝ることしかできなかった。石巻の4人は「情報は待っていても来ない。庁内各部へ取りに行きましょう」とアドバイス。集めた情報は、視覚的に分かるように掲示して、みんなで共有。市民にも見てもらえるようにした。窓口に問い合わせなくても情報が得られるようになり、混雑緩和につながっていった。
被災者が求める情報は時間とともに変わっていくことも経験。これらを福知山市版のマニュアルにした。役に立ったのは昨年の熊本地震。職員が携えて南阿蘇村の支援に出向き、大きな力になった。
石巻を助け、助けられ、また次のまちを助ける。「人と人のつながりが地域のつながりになっていく。これが絆だ」と、講演会で足立さんは説いた。
また東日本大震災の被災地で暮らして感じたことや、今も続く交流を通じて、被災地は忘れられることを心配していることを説明。多くの児童が犠牲になった小学校の事例も語り、泥のついたランドセルの写真を示し、嗚咽で言葉を詰まらせながら、「朝、おはようと出かけたら、元気に、ただいまと帰って来られるよう、守れる命は守りたい」と結んだ。
写真上=終業後のミーティング。相談窓口の改善などに大きな力を発揮した=市提供
写真中=石巻の職員たちが福知山市役所へ駆け付けた(14年8月22日)=市提供
写真下=公民館講演会で絆や命について語った足立さん
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