京都府福知山市西小谷ケ丘の福知山公立大学(井口和起学長)は、まちになじむきっかけ作りを目的に、新入生たちを対象にした「フレッシャーズツアー」を7日に行った。新入生や編入生、在学生、教職員ら219人が1チーム10人前後の計22チームに分かれてまちを探索したあと、得た情報を壁新聞にまとめ、情報を交換した。
ツアーのコンセプトは、「まちに出会う! 人に出会う!」。福知山のまちを歩き、地元の人たちと交流することのほか、グループワークをすることで、学生に大学にもなじんでもらうことを目的としている。
福知山の市街地16チームと三和、夜久野、大江各2チームに分かれ、地域の情報を聞いて回った。市街地のチームは東羽合の市消防防災センター、駅前町の市民交流プラザ、内記一丁目の福知山城、下柳町の市治水記念館のいずれかを巡り、福知山の魅力などを聞き出すために地元の人たちへのインタビュー訪問もした。
呉服町の浄土真宗本願寺派・明覚寺(菊藤大地住職)には、1、2年生6人が、富野暉一郎副学長らの引率で訪れ、同大客員教授でもある菊藤明道前住職から、寺の由来や明智光秀などについて説明を受けた。
福知山の地域資源を発掘しようと、学生たちは、街中を歩く約5キロのコースを設定。福知山駅南口に展示された旧福知山鉄道機関区の転車台に載ったSL・C11などを見学したあと、明覚寺に着いた。
菊藤前住職は「天正12年(1584)に六人部村長田で創立されたが、第2代住職のとき城下町の整備が進み、武士が集える防御拠点として現在地に移された」と寺の歴史を紹介。
さらに、「山門は明治時代に福知山城が取り壊された際、多くの城門の中のひとつが移築されたもので、市指定重要資料となっている」とし、鬼瓦には当時の城主・朽木氏の四ツ目結の紋が入っていることを説明した。
明智光秀については「本能寺の変で君主の織田信長を討ち、謀反人と伝わるが、福知山では善政を敷いた名君。商都として発展させるために税金を免じ、由良川の氾濫を防ぐために明智やぶを築いた。御霊神社に霊が祭られている」と話した。
学生はほとんどが他府県の出身者で、話に熱心に聴き入っていた。このあと、やぶ裏や福知山城などを訪ね説明を受けた。
写真=堤防上でやぶについて菊藤前住職から説明を受ける学生たち
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