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両丹日日新聞2016年7月14日のニュース

日中戦争で戦死の父 77年の時を経て形見の懐中時計届く

時計を優しく手に包む井上さん 「カチ、カチ、カチ」。福知山市石原の井上秀代さん(78)の手の中で動く懐中時計。生後間もなくに戦死した父親が使っていたもので、今春、奇跡的に秀代さんの元に届いた。「この音は、長い年月を経て語りかけてくれる父の声のように聞こえます」

■わが子誕生の半年で出征 そのまま帰らぬ人に■

 秀代さんは1937年(昭和12年)秋、井上武雄さん、栄さん夫婦の間に生まれた。夫妻にとって初めての子どもだった。喜びもつかの間、翌年春に武雄さんは日中戦争へ出征し、日本を離れなければならなくなった。

 「大人になってから家族に聞いたのですが、出征する時、父はいとおしそうに、ぎゅっと私を抱きしめてくれたそうです」

 この年、武雄さんは爆弾の直撃を受けて帰らぬ人となった。

 秀代さんは、晩年になって、武雄さんと同じ中国の戦地で戦ったという綾部市の人に出会った。「部隊の中で福知山方面の出身者は自分と武雄さんの2人だけだったことから仲良くなっていた。武雄さんが爆弾で命を落とした時、何とか遺品を家族に届けなければと、遺体を火葬にしてのどぼとけを取り、持ち物と一緒に実家に届けた」という話を聞いたが、戦友が送ってくれた「持ち物」が何だったのかは、分からないままだった。

■父の弟に育てられ■

 実の父を亡くした秀代さんは、武雄さんの弟・寅治さんが育ててくれた。やがて栄さんと結婚して秀代さんの父親になった。「その後、子どもが生まれましたが、父(寅治さん)は私とほかのきょうだいを分け隔てなく育ててくれました」

 母・栄さんは2002年に他界。育ての親の寅治さんも10年に亡くなった。

 今年になって、寅治さんの遺した品を、秀代さんの弟の幸雄さん夫婦が整理していると、一つの箱が出てきた。中には、懐中時計と一緒に「昭和十三年 中支戦死の兄武雄の遺品」と書いた紙が入っていた。
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 幸雄さん夫婦は「姉の実の父の遺品に違いない」と、秀代さんに届けた。時計はしんちゅう製で、目立った傷もなくきれいだった。秀代さんがふたを開けた時には動いていなかったが、そっとぜんまいを巻くと秒針が動き始めた。「その時、綾部の戦友の方が届けてくださった遺品は、この懐中時計だったのだと思い返しました。私のもとに届いてほしいという父の思いが通じて、いま手元にあるのでしょう」と感慨深げに話す。

■分け隔て無い愛情に感謝■

 栄さんが寅治さんと再婚し、しばらくしてから、自宅にあった武雄さんの遺品の中から遺書が見つかった。それには、国のために命を捧げなければならいこと、もし生きて帰れなかったら栄さんと一緒になって娘のことを育ててほしいと弟の寅治さんに依頼する文章がつづられていた。

 晩年、秀代さんは病床の寅治さんに、それまで分け隔てなくわが子として育ててもらったお礼を伝えた。それに対し「お父ちゃんと慕い、良い子に育ってくれてうれしい」と言ってもらったことを喜ぶ。「弟や妹も『お姉ちゃん』とずっと慕ってくれています」と目を細める。

 実父の思い出は、周囲の人から少し聞いただけで、ほとんどない。そんな父との細かった糸が、懐中時計の存在によってぐんと太くなった。「まるで娘の所に届けようという思いが実ったみたい」

 「戦争は悲劇を生むだけ。二度と戦争をしてはいけません」。形見の時計は仏壇に供えて、毎日父親と思い手を合わせている。


写真上=時計を優しく手に包む井上さん
写真下=井上さんのもとに届いた形見の懐中時計。武雄さんの遺品だと書いた紙が一緒にあった

    

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