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両丹日日新聞2015年9月 4日のニュース

「センゴク」主人公の名誉挽回 古文書発見で史料展

仙石権兵衛秀久の甲冑 出石藩仙石家の藩祖、仙石権兵衛秀久(1552−1614年)の古文書が、新たに豊岡市出石町の旧家で見つかり研究が進んだ。シリーズの単行本43巻、累計640万部の人気漫画「センゴク」の主人公として、歴史ファンの注目を集める戦国武将。発見された史料は更に秀久の魅力を増すものだった。新史料などで構成する「仙石権兵衛展」が、4日から豊岡市出石町の豊岡市立美術館・伊藤清永記念館で始まった。

■戦国で最も失敗し挽回をした武将■

 秀久は「戦国史上最も失敗し、挽回した武将」と呼ばれている。豊臣秀吉の藤吉郎時代からの配下として各地を転戦。天正13年(1585)には四国攻めの功績で讃岐一国を与えられたが、翌年の九州攻めで功を焦って大敗、逃走するという大失態をおかし、秀吉の怒りをかって所領没収の上、高野山追放の処分を受けた。しかし天正18年の小田原攻めに徳川家康の口添えで参戦。「無」の馬印で先陣を務めて武功を挙げ、小諸5万石を与えられて大名に返り咲いた。

 新たに見つかったのは、徳川の世になってからの小諸時代の古文書。慶長16年(1611)の文書では、13年からの年貢の一部猶予を命じ、逃亡した農民の帰住と耕作を奨励している。また別の文書では、村の有力者・肝煎に恩給を与えて家臣にしようとしたことが記されていた。

 現在の長野県佐久市の市志(市史)では、秀久の圧政による農民の逃散が多く、領民の抵抗に対して強圧的に対処したとされている。新史料を調べた豊岡市教委は「江戸時代中期の郷土史家が、豊臣から徳川への政権交代期の混乱と農村の荒廃を秀久の悪政によるものとしたため、その後の市町村史類も、それを継承する形で記述されてきたが、今回確認された史料は、一方的な秀久像を修正するもの」だとしている。戦での失敗と挽回同様に、新史料の発見により、悪政の汚名から400年ぶりの挽回が図られることになった。

■徳川家康の書状や作家イラストも■

 「仙石権兵衛展」では小諸藩時代の文書、徳川家康の書状など新出文書を含む約20点の史料を中心に、秀久の肖像画や書状、秀久のものとされる甲冑などを展示。「センゴク」作者の宮下英樹さんから寄せられたメッセージやイラストも展示した。

 会期は29日までで、13日午後2時からは市教委史料調査員による公開講座、6、20、27日にはギャラリートーク(各日午後2時から)がある。入館料は大人300円、65歳以上・高校大学生150円、小中学生無料。水曜休館(23日は開館して24日を休館)。電話0796(52)5456。


写真=秀久のものとされる甲冑

    

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