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両丹日日新聞2015年8月27日のニュース

終戦70年:梵鐘との悲しい別れ 長川寺の供出供養録下書き見つかる

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 戦時下の73年前、兵器増産のため福知山市三俣、長川寺の鐘は、金属類回収令で供出された。鐘が寺を去るときには供養祭が営まれ、住職はあいさつで複雑な心境を吐露している。こういった当時の様子を細かに記録した「梵鐘供出供養録」の下書きがこのほど、檀家宅から見つかり、その内容が近く公表されることになった。
 

 執筆者は、同じ上六人部地区の正後寺自治会長、市田拓己さん(63)の祖父・周一さん(故人)。日記を付ける筆まめな人で、供養録の執筆を頼まれたらしい。
 
 表紙に「昭和十七年十二月八日大東亜戦争一週(周)年記念日」と記載された供養録の下書きには、供養祭であいつさした故・平澤道貫住職の言葉がつづられている。「今日を最後に御別れせねばならぬ」ことは、「親に別れると同様」とし、一年中鐘をついてきた身にとって「誠に悲しい思ひ」と表現。檀家や地域の人にも鐘の音が生活に溶け込んでいたことを示し、鐘の音を耳にすることができない寂しさを語っている。
 
 このほか、供養祭当日は雲一つない好天で小春日和を感じさせたことを記し、参詣者の氏名、檀徒総代や世話人の当日の役割、供養の順序などを記載。鐘の見送りの様子も詳細に記録されている。
 
 下書きは昨年、市田さん宅の物置の古いたんすにあったのを発見。「戦争と平和について学ぶ六人部のつどい」を主催する「戦争と平和について学ぶ六人部の会」の山本賢二事務局長(66)に託し、難しい言葉があるため会員で解読した。
 
■31日のつどいで 市田さんら報告■

 31日午前9時30分から、長川寺で開く第5回戦争と平和について学ぶ六人部のつどいで、市田さんや、同会の朝倉義寛・来迎院住職らが供養録について報告する。
 
 供養録自体は見つかっていないが、市田さんと山本事務局長は「戦後70年の節目の年だけに、『歴史的証言』として価値ある資料」とし、「供養祭にかかわる資料や写真などを持っている人はぜひ教えてほしい」と話している。
 
写真=供養録の下書きを持つ市田さん

    

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