関東大震災、北丹後地震からの復興事業に、福知山出身者が大きな手腕を発揮した。1885年(明治18年)に拝師で生まれ、内務省復興局技師、峰山町助役、福知山市議などを務め、1946年(昭和21年)に61歳で亡くなった小林善九郎さん。北丹後地震から復興を遂げた京丹後市で、小林さんの生涯を紹介する企画展が開かれている。
小林さんは当時の京都府天田郡下豊富村拝師で庄屋の家に生まれた。榎原尋常小学校高等科から府立農林学校本科へ進み、農会技手などを経て、現在の農協につながる大日本産業組合の主事などとして各地で様々な仕事をこなし、1924年(大正13年)から28年までの4年間、内務省復興局・東京市の役人として、関東大震災後の区画整理事業などにあたった。
復興事業の最前線で、苦労の多い現場だったが、ここでの手腕をかわれて28年(昭和3年)8月、峰山町助役に就いた。
峰山は前年3月に起きた北丹後地震で大きな被害を受けた直後。記録によると、火災による焼失率は98%に達し、町は「焼け野原の、まさに全滅状態」。死亡率も24%という惨状だった。
町の復興事業は府道2路線、町道18路線の改良拡幅工事が優先実施されているが、当時は「道路境界確定、土地評価額と買収交渉、買収予算不足などに辛苦していた時期。この状況を打開する切り札」(京丹後市教育委員会「小林善九郎関係文書調査報告書」)として、小林さんが助役に起用されたらしい。
用地買収の資金が確保され、事業遂行のめどがたった30年に助役を退職して福知山へ帰郷。下豊富信用販売購買利用組合(後の下豊富農協、現JA京都にのくに)理事長となり、37年の福知山市議会第1期選挙で当選。45年8月の終戦まで議員を務め、翌年に事故で亡くなった。
企画展は京丹後市丹後町宮の市立丹後古代の里資料館で「丹後震災からの復興−峰山と小林善九郎」として4月19日まで開催中。小林さんの歩んだ激動の歴史を、辞令や書籍、写真資料などで紹介している。資料館は午前9時30分から午後4時までで、火曜休館。入館料は大人300円、小中学生150円。電話0772(75)2431。
写真=激動の時代を駆け抜けた小林善九郎さん(京丹後市教委「小林善九郎関係文書調査報告書」から)
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