朝来市生野町の「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観」が、18日に国の重要文化的景観として選定された。これを記念して市と市教委は29日午後1時30分から市生野マインホール(生野町口銀谷)で講演会を開く。申し込み不要で無料。
生野鉱山には金、銀、鉛、亜鉛、銅、スズ、タングステンなど多くの鉱脈があり、古くから鉱山開発が行われてきた。開坑は大同2年(807)とされ、江戸時代には口銀谷、奥銀谷に灰吹小屋が建ち並び、人口2万人を超えたとされる。明治に入ると初の官営鉱山となり、近代技術が導入され、昭和48年(1973)に閉山するまで国内有数の鉱山として機能してきた。
閉山後も鉱山技術は継承され、スズの精錬やレアメタルの回収が現在も行われていて、特にスズの精錬量は日本有数の規模を誇っている。
また鉱山の信仰と結びついた山神社、寺院が多い寺町、江戸時代の町屋が残っている。
選定範囲は森林を含む963・4ヘクタールにわたり、「主な構成要素」にはトロッコ道跡、鉱山町の町並み、旧混こう所、金香瀬坑道、生野鉱山正門門柱、露天掘り跡などが含まれている。
トロッコ道跡は、大正9年(1920)に設置された電気軌道の跡。鉱石を貨物駅となっていた生野支庫へ運搬するため、市川沿いに石積みアーチで基礎が構築され、トラック運送に替わるまで利用された。現在は遊歩道になっている。
記念公演では神戸大学大学院教授(近代建築史・保存修復)の足立裕司さんが「生野鉱山及び鉱山町の文化的景観−選定の意義と今後への期待」、滋賀県高島市教育委員会の山本晃子さんが「文化的景観の活かし方・使い方−高島の取り組み事例から」と題して、それぞれ話す。
30日までは会場ホールで構成要素68件のパネル展を開催。
■福知山−島原の深溝松平家墓所 愛知県で史跡に■
なお、生野と同時に宮津天橋立が文化的景観に選定され、愛知県額田郡幸田町の「島原藩主深溝松平家墓所」が史跡に選定された。
深溝松平家は6代忠房が福知山藩から島原藩へ国替えとなり、善政を敷いた縁から、福知山市と長崎県島原市が姉妹都市となっている。
墓所は菩提寺の本光寺と東西の廟所からなり、5代忠利から17代忠愛までの13人と、明治時代以降の18、19代が死没地にかかわらず埋葬された。神殿型の墓標を採用し、墳墓の地に継続して埋葬するという特徴を持ち
、大名家の葬送儀礼のあり方を考える上で重要だとされた。
写真=生野鉱山の鉱石を運ぶために造られた、石積みアーチの基礎が美しいトロッコ道跡。いまは遊歩道になっている
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