福知山城(福知山市内記一丁目)の石垣をよく見ると、上下に縦線が入ったように見える部分がある。天正時代に明智光秀が築城した時の石垣と、江戸時代の城増築時に積んだ石垣との境を示すもので、築城時には五輪塔などの転用石が多く使われていて、その違いがよく分かる。
この石垣は天守閣前広場の一角で見ることができる。福知山城の石垣は野面(のづら)積みと言われる自然石をそのまま利用する方式で積まれているが、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)のほか、石仏や石臼なども含まれている。これらは寺院や墓所などから調達したとされ、その数は500個以上とも言われている。
増築された際の石垣にも、余っていた転用石を使用した部分が見られるが、光秀の時の比ではない。
写真=光秀築城時の石垣と江戸時代の増築時の境がくっきり見える
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